歌川(安藤)広重 木曾海道六十九次「大井」
1月6日(馬日:ばじつ・六日年・六日年越) 【季節の言葉1078】 一月六日は別に
「六日年」または
「六日年越」とも言われ
一月七日が「七日正月」と称して式日であったところから、
一月六日を年をとり直すという意味で祝いました。
昔は、関東から関西にかけて麦飯に鰯(いわし)を添えて祝ったり、
九州地方や中部地方でも色々な民俗行事が行われていました。
しかし、今では一部の祝福行事を残して廃れているのが現状です。
7日が年の改まる日としたのは、唐制の元日正月(大正月)と、
古来の15日正月(小正月)の半ばに当たる日で、
小正月を重んじる地方では祭の物忌みに入る時で、
祭の準備を6日または7日に行う例が今も見られます。
秋田県旧由利郡で、6日に「松迎え」と称して
ホオやミズキ・タラの木を切って来て、15日の朝に「門松立て」と称して
門口に立てる例などです。
6日を年越しと呼ぶことは室町時代以来で、現在でも長野県や近畿地方一帯、
九州では熊本県などで使われます。
違う名称では、愛媛県南部では「糠正月(ぬかしょうがつ)」、
愛知県旧北設楽郡では「女の年越し」、埼玉県旧入間郡では「馬の年越し」、
福岡県旧下毛郡では6日が「牛の正月」、7日が「馬の正月」で、
牛馬に粉餅を食べさせたあと、外に放して割竹で地をたたいて飛び歩かせます。
江戸時代、徳川幕府が中国の古俗にならって正月7日を人日(じんじつ)として、
五節供の第一としましたが、そのもとには、六日年越しの習俗が反映していると見られます。
6日から翌朝にかけて炊いた七種の菜を粥にして7日にいただく「七草粥」も、
6日夜から入る物忌みの儀礼として考えてよかろうと思えます。
六日はや睦月は古りぬ雨と風・・・・・内藤鳴雪
かけかへて鶴の相舞ふ六日かな・・・・・松根東洋城
橋七つ渡り六日も暮れにけり・・・・・結城静子いつもご訪問ありがとうございます。
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テーマ:日々の暮らし - ジャンル:ライフ
- 2021/01/06(水) 07:00:00|
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