わたせせいぞう 画
七十二候【桜始開(さくらはじめてひらく)】 【季節の言葉1108】本日3月25日より春分の次候
「桜始開(さくらはじめてひらく)」です。
まさにちょうど今、日本列島をソメイヨシノ開花前線が北上中ですね。
百花繚乱の春本番を告げる桜の開花ですが、
「桜」という花がなぜそれほど日本人、日本文化において特別なものになっているのか?
侘び寂びを重んじる日本文化の美意識、
そして異質な一抹の妖気とあでやかな色気が特徴の桜の花は、
なぜ日本で長く愛され、国の象徴にまでなったのでしょうか。
古来、中国文化を手本としてきた日本では、
奈良時代ごろまでは花見と言えば梅の花を愛でることでしたし、
御所である紫宸殿には、その南庭に左近(東)の梅、右近(西)の橘が植栽されていたのが、
平安期には左近の梅はサクラに置き換わり、
そのまま雛人形のお飾りにも踏襲されているのはご存知の通りです。
日本で最初にサクラが歌に詠まれたのは
第十九代天皇・允恭(いんぎょう)天皇のこの歌であると言われています。
花細(ぐは)し 桜の愛(め)で こと愛では 早くは愛でず 我が愛づる子ら (日本書紀・巻第十三)
双方で思いあう衣通郎姫(そとおしのいらつめ)をサクラの花に例え、
「桜の花の何と言う繊細な美しさだろう。
どうせ愛でるのだったら、もっと早くから愛でていればよかった。私のいとしいいとしい姫よ。」・・・と、「愛でる」を四度もリフレインし、
「かわいくてたまらない」という思いがあふれ出たとんでもなく熱い歌です。
現代のラブソングとほとんど同じテイストと言っていいのではないでしょうか。
サクラには人を熱狂的な恋心、情念にかきたたせる魔力があるようです。
かたやサクラは死(タナトス)とも常に結びついてきました。
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ (西行法師 「新古今和歌集」選)「如月の望月のころ」は、旧暦2月15日であり、太陽暦で言えば三月末。
「かなうなら、桜の木の下で、満開のときに死にたいものだ。」と、西行は詠っているのです。
ワタシが好きなのは、
梶井基次郎が著した
「桜の樹の下には」の、有名なこの冒頭の箇所。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。
何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。
(中略)
何があんな花弁を作り、何があんな蕊(ずい)を作っているのか、
俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、
維管束のなかを夢のようにあがっていくのが見えるかのようだ。梶井はここで、執拗に地中に埋まった死体(タナトス)が腐敗し、
木に吸い取られて導管を這い登って桜の花という生殖(エロス)に変容する・・・という空想をし、
サクラにこめられた性愛(エロス)と死(タナトス)のイメージを
もろともに抉り出し、描出しています。
梶井の鋭敏な感性が直観したものは、
実は私たち日本人が何千年にもにわたり桜に抱いてきたイメージそのものだと思っています。
ワタシの年齢ともなると
さまざまのこと思い出す桜かな (松尾芭蕉)これが的を得ているのかなぁ~・・・・・
ロクでもないことしか思い出さないわ。
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テーマ:日々の暮らし - ジャンル:ライフ
- 2021/03/25(木) 07:00:00|
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