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『賀茂御祖神社(下鴨神社)流鏑馬神事(やぶさめしんじ)』  (京都の休日580)


『賀茂御祖神社(下鴨神社)流鏑馬神事(やぶさめしんじ)』  (京都の休日580)

 京都市の下鴨神社では5月3日、賀茂祭(葵祭り)の前儀として
流鏑馬馬場において流鏑馬が執行されます。

公家の装束(束帯)を着用しての流鏑馬で、他には見られない流鏑馬です。

下鴨神社では、境内の糺の森から古墳時代の馬具が出土し、
また『続日本記』には「文武天皇二年(698年)賀茂祭の日に
民衆を集めて騎射を禁ず」とあり、また鳥羽上皇が糺の森の馬場において
流鏑馬をご覧になったことが「中右記」にあります。

明治2年の(1869年)東京遷都祈願行幸以降中断していましたが、
昭和48年下鴨神社式年遷宮の記念行事として復活し、
公卿の流鏑馬の保存を図るため裏千家家元千宗室氏(現・千玄室氏)を会長として
「糺の森流鏑馬保存会」が結成され、毎年行なわれています。

■平成30年5月3日(水)※小雨決行
■受 付
: 正午より受付開始 約1000席
■料 金: 1席 2000円 ※葵祭パンフレット付き
■日 程: 午後1時
■本殿祭(本殿に於いて奉告祭を行う)
・午後1時40分: 行列が馬に乗り馬場に入る
・午後2時: 射手が馬に乗り流鏑馬開始
・午後3時: 終了予定
■駐車場: 30分 150円

※流鏑馬神事では、500mの馬場に3ヶ所 的(1尺5寸:45cm)が設けられます。馬から的までの距離は8尺:1m80cmあり、その的を射抜く神事です。5頭の馬が4回走ります。(※馬の調子により変更いたします。)
image_yabusamezu.jpg

下鴨神社 流鏑馬神事


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 流鏑馬は「やぶさめ」、あるいは「やぼさめ」と読みます。
「矢伏射馬」とも書きます。

『貞丈雅記』に「やぶせむまの略語なり」とあるように、
馬を走らせながら鏑矢(かぶらや)を射ることです。

 下鴨神社では、流鏑馬とは云わずに「騎射」(きしゃ)と明治初年まで
呼んでいました。この騎射が、いわゆる流鏑馬の原形です。

その騎射の歴史は『日本書紀』、雄略天皇即位の年(457)に
「騁射」(うまゆみ)を行ったとあります。
また天武天皇9年(682)、「長柄宮にて馬的射」ともあり、
これもまた流鏑馬のことですから、古くから行われていたのがわかります。

 当神社では、境内の糺(ただす)の森から古墳時代の馬具が出土しました。
また、『続日本紀』に「文武天皇2年(698)加茂祭(葵祭)の日に
民衆を集めて騎射を禁ず」とあり、葵祭の日の騎射に大勢の見物人が
集まるために三度も禁止令が出るほど有名になっていましたから、
古くから行われていたことがうかがわれます。

 文亀2年(1502)、葵祭の路頭の儀が中絶したことによって
騎射もまた中絶しました。神事は中断しましたが、
武家は各地で流鏑馬として盛んに行うようになり、
さまざまな流儀や作法が派生しました。

元禄7年(1694)、葵祭が再興された時、騎射も伝統の作法により再興されました。
ところが明治2年(1869)東京遷都祈願行幸の時に行われた後、再び中断するにいたりました。
 去る昭和48年、下鴨神社式年遷宮の記念行事として、
名称を流鏑馬神事と改め、100数年ぶりに復活しました。

◆作法◆
 各役所が所定の位置に着くと、馬場元役は軍扇を揚げる。
馬場末役は、同様に軍扇をかざして、これに応える。

 一の射手は、馬場元の扇型に馬を進め、「揚扇」を行い、
扇を高く投げ「陰陽」(おんよう)とかけ声をかけながら馳せ、一の的を射る。
すぐ箙(えびら)より矢を抜き弓につがえ、二の的、三の的を射る。

 二の射手は、先と同じように馬場元、末役の合図扇がすむと、
馬場の扇型に乗り入れ馳せるが、この射手は揚扇の作法はない。

 三の射手は、合図扇の後、「揚鞭」を行い的を射る。

 騎射が終わると、一、二、三の射手は馬場殿の前で騎乗のまま
片鐙(かたあぶみ)をして神禄を長官代より賜わる。

賀茂騎射の神禄は、桂に帛(はく)がかけてあり、
射手はこれを受け肩に掛けて馬上拝舞を行い、馬場元へと帰る。
一の射手は白帛、二の射手は赤帛、三の射手は濃色の帛を賜わる。

◆日本の騎射◆
 わが国における騎射の文献上の初見は、「日本書紀」十四・雄略天皇(456年)の条【大泊瀬天皇弓を彎き馬を驟せて賜り呼んで猪有りと曰ひ、即ち市辺押磐皇子を射殺したまひつ】の記事とされており、さらに天武天皇の時代(682年)には「長柄杜で馬的射」を行なったことが記されていることから、騎射が狩猟や武技だけでなく、儀礼としても行なわれていたことが伺われます。

 奈良時代には、唐の統治制度を手本とした「律令制」による弓騎兵の伝統に従い、兵士の採用条件として第一に騎射に秀でていることが求められていました。そして弓箭は武官を象徴する表識ともなりました。

 平安時代以降、武士の台頭と共に騎射の技術は武士の必須として重視されるようになり、やがて戦術の変化や重火器の導入により、騎射がその実用を失っても尚、弓馬は武門の精神的象徴として長く重んじられてきたのです。

 そうした日本の騎射には、流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)・牛追物(うしおうもの)・犬追物(いぬおうもの)、また作物(つくりもの)といわれる、三三九(さんざんく)・八的(やつまと)・手挟(たばさみ)・乞垂(こいたれ)・引不引(ひくひかぬ)・脇細(わきぼそ)・四六三(しろくそう)、など数多くの様式があったとされています。

 しかし現在では、代表的な騎射の三つ物以外、その詳細は不明です。騎射の三つ物とは、流鏑馬、笠懸、犬追物を総称する名称ですが、それぞれの目的を区別すれば、流鏑馬は神事として、笠懸・犬追物は実戦の訓練や競技として行なわれてきたため、その様式や作法も異なります。

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