相田みつを 『あたらしい門出』
『ハレの日とケの日』 【季節の言葉1104】日本には節目を大切にする文化があって、とてもいいなぁ~・・・と思っています。
若い頃は堅苦しいなあと思っていたのですが、
今にして思えばとても大切な知恵が凝縮していることに気付かされます。
1年を季・節・候にわけて、日々移り変わる気候変化を感じる仕組みがあり、
その大きな区切りに節句を設けて、大きな季節の変化に対する備えを促す仕組みがありました。
また人生の通過儀礼も、全て年齢による身体の変化や、
取り巻く社会的な変化を知るきっかけになっています。
その全てに行事があり、そこに参加体験することで実感が湧いて来ます。
行事に参加することが、前とその後を分ける境目となっていて、
気持ちの区切りを作る「間」「期間」としてとても大切な役割を果たしていたと思います。
人が生きて行く上で、前と後の境目の「間・ま」を作る事。
これが伝統行事と捉えてみると、人が気持ちを整理しながら豊かに生きるために
とっても大切な仕組みだと気付かされます。
忙しすぎておろそかになってしまいがちなことですが、
もう一度「節目」を見直してみてはいかがでしょうか。
「忙しすぎて」・・・
『忙』は、
「心」が
「亡くなる」と書きます。
『忘』も、
「心」が
「亡くなる」と書きますよね。
どちらも人として寂しく悲しい文字です。
興味のある方は、下記の「続きを読む」をクリック!いつもご訪問ありがとうございます。
皆様の“ポチッ♪”っとが励みになります(^^)
キーボード左下の【 Ctrl 】を押しながらポチッ♪ よろしくお願いします。
人気ブログランキング
『ハレの日とケの日』 日本人は
「穢(けが)れ」を嫌う民族です。
「穢(けが)れ」とは、
「気(け)が枯れる」から来ているんです。
「女性の人は、毎月 気が枯れるからそんな大変なときに
疲れるような事はせずにゆっくり過ごしなさい。
だからお参りにわざわざ来なくてもいいんだよ。」・・・というのが、
いつからか歪んで間違った考えで「穢れは神域に入るな!」・・・となったのです。
これ、「神道」的な考え方ではなく、
「仏教」的な考え方ですね。
わざと汚すのは論外だけれども、
汚してしまいそうだから控える・・・という計(はか)らいもあるのでしょう。
けれども、絶対に入っちゃダメなんてことは無いんですよ。
確りと
神道(しんとう)を学んだ方々なら知っているはずです。
毎日新聞や朝日新聞のような外道が、部数拡張のために高校野球を利用・神聖化し、
この「穢(けが)れ」に対する日本人の意識を利用して
間違った「穢(けが)れ」の意識を植え付け歪めたのです。
それが、いつの間にやら相撲の世界にまで浸透していまったのです。
相撲の歴史を垣間見れば馬鹿らしいとスグに気付くものなのですが・・・・・
話を戻して、
このけがれ・・・ケガレ の「ケ」は、「普段の日・普通の日」という解釈にも通じるのです。
それに対して、晴れの門出・結婚式や入学・卒業・就職は「ハレの日」特別な日です。
昔は
『ハレの日とケの日』の区別をハッキリとさせて来ました。
例えば、食事の内容も、身に付けるお洋服(衣類)も異なるものでした。
しかし今では全く無いようです。要は
『けじめ』が無くなってきているのですね。
それは悲しいかな親も子も・・・世代を超えて・・・・・
古来から日本人は
『けじめ』を大切にしてきました。
しかし日本人だけではありません。
海外でも昔から
T・P・Oが大切だとされてきています。
T=TIME(時間・日・年)
P=PLACE(場所・空間・空気)
O=OCCASION(状況 = 状況に合わせて行動するのが大事)以前、娘がまだヤンキー時代の中学校卒業式間近に
『ハレの日とケの日』の件で、こう質問してみたことがありました。
『もしオマエの結婚式に、TPOを知らない友人が《白いドレス》で式に出席したらどう思う?』『節目を大切にしないという事は、そういうことになるんだよ。』すると全て理解したようで・・・良かったです。
『ハレの日とケの日』
『晴れの日と褻の日』
『特別な日と普通の日』大切にして行きましょうね♪
『あたらしい門出』相田みつを
『夢はでっかく根はふかく』
人として「いのちの根」は太く深く丈夫でありたい
自分の根をしっかりと張っていられたら、いつか花咲く。
勿論、自分の根をしっかりと張っていようとすれば、日々栄養が必要ですが・・・栄養とは学ぶ心です。
『いまから ここから』
どんなに悔やんでも過去は変えられません。
そして勿論、明日のことも判りません。
明日のことも判らないのに「明日から」と言わずに『いまから ここから』
いつでもスタートラインは『いまから ここから』
『受身』
人生はまさに、ころぶ、まける、ぶざまに恥をさらす。
人前でころんだり負けたりすることは、普通にあることですが
ころびかた、負け方をきちんと身につけていないと、いずれ大ケガを負います。
だから若いうちに人前でぶざまに恥をさらし痛み苦しみを覚えることで、
人の痛みも心から理解できる優しい人になれ、品格をそなえることができるのです。
勝ち続けた人に
品格がそなわっていない人が多いのは
「攻め」しかなく「受身」がない為です。
欧米エリートに比べ、
日本人はスポーツの大切さを全く理解していない民族です。
スポーツは、どんなに自分が努力しても、どんなに自分が鍛えても
それでも負ける時は簡単・ぶざまに負けてしまいます。
そこで
初めて自分一人のチカラや能力では、どうにも出来ない世界があると知り、
チームメイトとの試行錯誤やチームメイトの大切さを理解して行くのです。
「欧米エリート = 超富裕層」・・・大金持ちの「おカネ」という権力に驕ることの無きよう
自分一人のチカラや能力(おカネや権力)では、どうにも出来ない世界があると
小さな子どものころから教育すること・・・・・
そこにスポーツの大切さがあり、
欧米エリートたちが必須と考える所以です。
だから日本人エリートが海外に通用しにくいのですね。
勉強やビジネスだけで勝ち続けて来たからです。
スポーツの大切さを知らず、子どものころからスポーツを蔑ろにして育つ。
「受身」や「防御」・・・いわゆる
「ディフェンス」が備わってなく、
知識はあっても智慧がない。
だって、子どものころから実践でチームメイトとの
試行錯誤していないのですから当然ですよね。
日本の子どものころから教わるのは
「蹴落とす」ことばかりです。
覚えて置いたほうが良い。
平時(普段)はチャレンジする時に負けることを考えるのは馬鹿だ。
しかし・・・有事の際は、負けることを考えた(想定した)上でチャレンジしなければならない。
日本人には、「負けることを考えた(想定した)上でチャレンジ」することが無い。
「負けることを想定」することは、
「縁起が悪い」から・・・・・
しかし、有事の際は、負けることを想定した上でチャレンジしなければならない。
だから「損切り」がヘタなんですよ。
第2次世界大戦(大東亜戦争)で日本は勝たないまでも、
引き分けに持って行けることが出来たんです。
しかもそれは数度もチャンスがありました。
しかし、それが出来なかったのは単純に
「負けることを想定」した戦略が全く皆無だったからです。
それが勉強やビジネスだけで勝ち続けて来た人間の末路です。
「平時(普段)」には強いが「有事(イザ)」には弱い。それこそ今の日本の大企業を観れば分かるでしょう。
いつもご訪問ありがとうございます。
皆様の“ポチッ♪”っとが励みになります(^^)
キーボード左下の【 Ctrl 】を押しながらポチッ♪ よろしくお願いします。
人気ブログランキング
- 関連記事
-
スポンサーサイト
テーマ:日々の暮らし - ジャンル:ライフ
- 2021/03/07(日) 07:00:00|
- 季節の言葉
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0