『百椿図(ひゃくちんず)』 (京都の休日733)
“One Hundred Camellias : Blossoms Heralded in Literature” 江戸時代はじめ、空前の
椿園芸ブームが起こりました。
珍しい品種への注目が高まり、数多くの椿を集めた書物や図譜も制作されましたが、
なかでも
「百椿図」は100種類以上もの椿を色鮮やかに描きだした屈指の名品です。
「百椿図」2巻、計約24メートルを可能な限り広げて展示、その全貌をご覧いただけます。
室町時代の花鳥画や江戸時代の工芸品などの椿図とあわせて、新春を華やかに飾ります。
展示室2「小袖の彩り」と、展示室5「百椿図」 根津美術館百椿図(ひゃくちんず)椿をめぐる文雅の世界 根津美術館興味のある方は、下記の「続きを読む」をクリック!いつもご訪問ありがとうございます。
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遠くから散る姿を愛でるのが「櫻」なら、
密やかに咲く一輪の花を愛でるのが「椿」。古(いにしえ)から現在に至るまで、日本人の精神を支えてきたこの花。
太古より北海道を除く日本全国に自生していた
「椿」は、
古くから種子、材、灰、葉まで、生活に密着した植物として利用されてきました。
その様子が
『古事記』『日本書紀』にあり、遣唐使が唐への献上品として
『椿油』を持参した記録が残っています。
『万葉集』には、
巨勢(こせ)山の つらつら椿
つらつらに見つつ偲ばな 巨勢の春野を ── 坂門人足(さかとのひとたり)──と詠まれ、艶やかな葉と花が万葉人に愛されていた様子がうかがえます。
その後、平安時代には宮廷や貴族の間で珍重されます。
遡(さかのぼ)れば、その樹齢の長さから、正月初卯の卯杖(うづえ)となり、
金泥銀泥、黄に緑にと彩色されて献上されたという記録が正倉院にあります。
また、浮織文、椿唐草の表袴(うえのはかま)の古代裂が熊野の速玉神社に現存するなど、
「椿」は当時から聖なる花木として扱われていたようです。
「椿」を身近に楽しむ花として珍重し始めたのが室町時代です。
足利将軍家に仕える同朋衆の作庭に欠かせない存在となり、
また花道(華道)や茶道の交流に伴い、より身近に屋内で鑑賞されるようになりました。
室町から桃山にかけて流行した
「京椿」は、侘び寂を象徴する清楚な一重の花。
公家や武家、学者といった都人が好みました。
江戸時代に入ると、徳川二代将軍秀忠が全国から美しい椿を集め、
江戸城に植えたことを契機に、大名、武家、豪商へ、
さらに文化文政以降には庶民に椿を愛好する趣味が広まります。
この一連のブームを担ったのが
「江戸椿」です。
寛永年間には、
『百椿図』(松平忠国編)
『椿花集』(安楽庵策伝著)
『椿花図譜』(宮内庁蔵)──などなど、多くの美しい絵の図譜が出版されました。
ワタシは何時ぞや・・・・・相当昔に成るのですが、
この
『百椿図(ひゃくちんず)』を京都で拝見致しました。
なので毎年「椿」の美しい時期が来ますと、この『百椿図』が不意にアタマを横切ります。
自宅庭のありとあらゆる処に色々な種の
「椿」がありますから・・・・・
以前、ブログで一部ではございますが、ご紹介させて頂きましたよね。
新春『自宅庭の近況報告』 - 2022/01/01/ 09:00 (ココをクリック)2014/03/30 『自宅庭の近況報告』 - 2014/03/30/ 10:00 (ココをクリック) 本図
『百椿図(ひゃくちんず)』は、丹波国篠山藩・丹波篠山城主、
後に播磨国明石藩七万石の藩主となった松平忠国(1597~1659)が
狩野山楽に依頼したものとされています。
100種類余の園芸品種の椿が68図に分けられ、色々な階層の人たちが、
普段の暮らしの中であしらい、楽しむ姿が描かれています。
また、皇族・公家・僧侶・儒者・文人など49名から52首の和歌・俳譜・漢詩が
寄せられ、文化人の目を通した「椿」が垣間見えます。
水戸光圀公の譜、
きみもいさ はやゆきてみよ こせやまの
つらつらつはき すきぬまに ── 光圀──は、上記の
万葉集「巨勢(こせ)山の つらつら椿・・・・・」という歌が下敷きになっています。
いさはやといふ
つはきのうつしえをみて讃は水戸藩主徳川光圀公。
椿の名称「諫早(いさはや)」。「いさ・はや」に諫早をかけている。
おし 花は又 たくひありとも 玉椿
なれてしみすは おしき色かな ── 良尚画讃は萬殊院良尚法親王。椿の名称「おし」。
不動
明王何誇圓光焔
晦翁會吟数枝雪
筆有精神花有霊
丹心不動自清徹
竹洞画讃は幕府儒官 人見竹洞。椿の名称「不動」。
題百萬椿
昔日嵯峨有狂女
至心尋子思無邪
如今舞袖歸何處
依舊青陽躍入花
紫阜釋一如画讃は大徳寺天室宗竺和尚。椿の名称「百万椿」。

風呂敷からこぼれんばかりの椿花。
誰かに届けたい気持ちがそこはかとなく伝わります。

大切な手紙が収められた文箱に添えた椿が、
たむけた人の秘めた想いを伝えます。

文人たちが嗜んだとされる硯箱の水滴への一輪挿し。

椿を描いた蒔絵のちりとりに掃き寄せた、その姿を楽しんでいます。
日本の椿の原種を代表する「ヤブツバキ」がヨーロッパに渡ったのは16~17世紀ごろ。
「東洋の花の女王」として愛され、数々の小説やオペラの
「椿姫」となって一世を風靡、
アメリカに渡ってさらにブームに拍車がかかりました。
シャネルのコサージュに象られている
カメリアは、欧米人好みの典型的な千重咲です。
現在では中国原産の唐椿の血も加わって、園芸品種は数千。
そのほとんどが「ヤブツバキ」が母樹です。
今ではコーヒーカップの受け皿ほどもある八重咲の大輪もあります。
これに対し、日本人は今なお、原種に近い一重咲の表情と葉を慈しむ感性を大切にしています。
今では椿愛好家の輪はすっかり世界に広がり、
1962年に「国際ツバキ協会」が「日本ツバキ協会」と連動して発足。
28ヶ国が参加して隔年に国際ツバキ会議を開催し、研究や交流を深めていっています。
「椿」は、日本を代表する世界に冠たる花木です。いつもご訪問ありがとうございます。
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テーマ:日々の暮らし - ジャンル:ライフ
- 2022/02/12(土) 09:00:00|
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