「神社のさい銭と統一教会の寄付どこが違うんだ」
田崎史郎氏が献金を擁護?「今言っていい言葉か」批判も今も話題のこの宗教について
ウチのブログでは放置プレーにしているんだけれども
この田崎史郎って犬野郎は何を吠えてるんだ?
まず・・・
「宗教」のほとんどは
「人」が作ったモノなんですよ。
自然発生的にできた「宗教」は世界中には、ほとんど無いのです。
皆無じゃないですよ、ほとんど・・・ってことです。
「神道」≒「神社」の由来を簡単に説明すると
昔々・・・まだ日本に漢字も無かった縄文時代の頃
各地方・地域で「山」が神様として崇められたり
「岩」が神様として崇められたり
「巨木」が神様として崇められたり
・・・と、さまざまでした。
今でも「注連縄(しめなわ)」が巻かれていたりするでしょう。
それは、そういった意味からです。
例えば
古来、
櫻は「サ=サの神様(田の神様)」の「くら(座)=神の宿る場所」という意味
「櫻」 = 「サの神様の座(くら)」という意味で
稲の神様の宿る木(依代《よりしろ》)とされていました。
今でも
山の神様を
「サガミ様(サ神様)」と呼んだりしますよね。
「サ神様」は、縄文時代からの日本(固有)の神様です。
神様の
「依り代」(山・岩・木など) (ココをクリック)に
雨風などを、しのいでもらうために屋根などを付けたのが
「社(やしろ)」と呼ばれ
それが後々「神社」と呼ばれるものに発展して行くのです。
「神道」とは人が作ったモノではなく
自然発生的にできたモノなんですね。
なので当然、神様も
「一柱(ひとはしら)」 (ココをクリック)ではなく
日本では
「八百万の神々」となったワケです。
「神道」が自然発生的にできた証拠に
「神道」には
「経典」がありません。
「神道」には勿論
「教祖」もいません。
それはなぜか?
少し考えれば「当然」だと思うでしょうが
「教えは人から来るのではない」・・・という考え方からです。
子供が生まれたときからその「布教」は始まっており
無自覚のまま死んでいきます。
日本人は生活や仕事すべてが「神道」的です。
例えば、伊集院光さんが仰ってますが
神様もまったく信じてないんだけど、じゃあお地蔵さんを蹴れるかって言ったら、蹴れませんし
もっと漠然としたことで言えば、例えば賞味期限切れのおにぎりでも
米を踏めるかっていうと踏めないんだよね、人として・・・・・
それはなんか緩やかに信仰はあるんだなっていう・・・・・要は
「自分たちの独特で強固な宗教観に日本人自身が無自覚」なだけなんですよ。
日本で世界宗教会議が開かれるのは、日本人が無宗教だからではありません。
他宗教も矛盾なく受け入れられる強固な宗教なので問題にならないのです。
宗教は本来、人を救うために存在するものです。
ああしろこうしろと変な義務や脅しで人々を苦しめるのは
インチキ宗教ですよ。豊かな土地と水に恵まれ、農耕が発達したインドや中国では
定住した人々がいかに争いを避けて生きていくかが重要でした。
だから
「仏教」という宗教は
慈愛、慈悲がベースとなっているんですね。
「キリスト教」は、多民族国家の中で社会の
支配構造を保つための宗教なんです。
その原理が今でも残っているから
欧米社会では
支配する側と支配される側がハッキリと分かれているんです。
皆さんもご存知の旧約聖書の
アダムとイブの逸話は
「偉大な権威に背くとどうなるか」という話なんですよ。
偉大な権威に背くと
楽園から追放されて
苦難が待ち受けるんですね。
今回、問題になってる宗教って
一応ですが「キリスト教」系でしょう。
支配の構造を利用しているのです。
田崎史郎って犬野郎が
「神社のさい銭と統一教会の寄付どこが違うんだ」・・・って吠えるので書かせてもらいました。
犬よ、「神社のさい銭」には一円も入れずに参拝しても全く問題ないぞ!
おカネが問題なのではなく、詣でる(行動する)ことに意味があるのです。
「どこが違うんだ」と吠えているが
一体「どこが同じだというのだ」???
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- 2022/08/31(水) 06:00:00|
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