宮本亞門氏 安倍氏国葬の案内状アップし「もちろん私は行きません」何か世の中が壊れている感じがする
「国葬」を批判するのと
「故人」を辱(はずかし)める
のとでは意味が皆目、違ってくる。
例えば
アナタの親族にご不幸があり
案内状を送って、“LINE”や“Twitter”に
例えば「食事会に呼ばれたことも無いのに」・・・などと書かれ
案内状を写真入りで載せて出席を断られたら
アナタならどう思いますか?
アナタがもし知り合いだとして
断ってカッコイイと思いますか?
この人、64歳のオッサンです。
100歩譲って宮本亞門氏が有名人だから・・・としたら
この人「演出家」ですよね。
この人の生い立ち・・・「花街」のど真ん中で生まれ育ち・・・ってなってるけど
京都でも「花街」のど真ん中育ちの人って結構、知り合いにもいるけど
京都の人たちとは、まったく違う人種だね。
この人いったい「花街」で何を学んできたのだろう・・・・・
あれを学んだ、これを学んだ・・・ってWikiに書いてあるけど
どれも薄っぺらじゃない。
まるで「哲学」が無い 備わっていない
やまと言葉では、日常生活のことを「ケ」(褻)と呼び
日常の生命力が枯渇するとケガレ(褻枯れ)となります。
そこで神を迎え、神に触れて
生命力を振るい起こすために「まつり」が必要となるワケですね。
その「まつり」を演出するのが彼(宮本亞門氏)のお仕事なワケです。
本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。
これは誰もが認めることですよね。
その目に見えない「こころ」を
目に見える「かたち」にしてくれるものこそが
立ち居振る舞いです。
この人(宮本亞門氏)「いなかっぺい」ですね。
これは地方出身者という意味ではなく
相手の肩書きや貧富を聞いて
急に態度を変える俗物的な人間を指します。
この人(宮本亞門氏)相手観てこんなことしてるでしょう。
ワタシって
「文化人=体制に対して批判」しているだろう(日本的左翼)・・・・・
・・・っていうのがミエミエなんですよ。
こういうの「井の中の蛙(井中っぺい)」とされて
江戸時代の江戸(東京)では、もっとも軽蔑されていたんだよね。
人の
節目である
「冠婚葬祭」とは
生身の人間が実際に集まってきて
喜びや悲しみの感情を持ち
祝意や弔意を示すことに他なりません。
生身の人間が実際に集まってきて
喜びや悲しみの感情を表す仕事が
彼(宮本亞門氏)のお仕事です。
経験者なら当然、理解できるかと思いますが
葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも
残された人を人前に連れ出します。
引きこもろうとする強い力を
さらに強い力で引っ張りだすのです。
葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。
それが、残された人を
「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。
辞退するなら黙って辞退すればよいのです。
それを踏みにじる行為って・・・・・
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- 2022/09/14(水) 06:00:00|
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